コラム「何でだろう?」

 昭和の最後の年に大学を卒業した後、埼玉県所沢市にある国立障害児入所施設に行きました。施設の敷地内に、40人程の男女が住み込みで勉強をする学校(養成所)があり、そこで修学することにしたのです。施設には100人を超える最重度の知的障害を持った人たちが5つの寮に分かれて住んでいました。僕たち養成所生は朝と夕方、担当になった寮で実習しながら日中は教室で座学。そんな1年間を過ごしていました。

 30年前の入所施設ってどんな様子だか想像がつきますか?部屋の中は引っ越し前のアパートのように何もありませんでした。畳は何年も替えた様子がありません。食堂や職員室には鍵がかかっていて、そこで暮らしている人達が自由に出入りすることは出来ません。
 暮らしている方の多くは、ホールに集まって座り込んでいました。所在なさげに廊下を行き来している人もいました。こんな場所で暮らしているのは何でだろうと思いました。

 

 養成所を卒業した後は、千葉県にある知的障害児入所施設で働きました。小学生から20歳まで30人位の子どもが暮らす小さな施設です。入職した当時、現場の職員10余名の中で20代の男性は僕一人。物珍しかったのか、子どもたちに沢山遊んでもらいました。仮面ライダーごっこをしたり、「帰ってこいよ」とか「情熱の薔薇」を毎日熱唱していました。言葉が上手にしゃべれない(と思っていた)男の子が、数か月後に「しぃ~さわさ~ん」と絞り出すように名前を呼んでくれたのは嬉しかった。
 仕事を始めて数年後に自分の子どもが産まれました。自分の子が掛け値なしに可愛い!と感じた時に、施設の子どもと僕の関係はどこにあるんだろうと思い悩みました。信頼していた子どもに裏切られたこともありました。言うことを聞かないワンパク坊主に腹が立ったことも沢山あります。それでも施設の子どもと一緒に過ごした10年間はとても楽しかった。アツシくん、カオルくん、○○くんと出会ってありがとうって思っています。彼らは決して「いない方が良い」存在ではないと噛みしめて思います。
 定員30人の小さな施設でしたが、そこへの入所を希望する子どもは後をたちませんでした。一時的なお預かりをする方も年々増えていきました。「施設」の機能が拡充して、社会資源が増えていったことは良い事でもあるのでしょうが。彼らが心地よく過ごせる居場所は施設や福祉事業所に限られていってしまっているのではないか?他に彼らの居場所がないのは、何でだろうと思っていました。

 

 勤めていた法人が独自に立ち上げた生活支援センターでは、沢山の、障害のある方やご家族とお付き合いをさせていただきました。暮らしのお手伝いをするために、「相手合わせ」で何でもやろうとしました。お付き合いをする中で、ご家族の大変さや辛い思いを垣間見させていただきました。
 沢山の、魅力的な方との出会いがありました。大変なのに、辛いはずなのに何でだろうと思いました。表裏にある喜びとお付き合いさせていただきたいと思いました。

 

 現在は、中核地域生活支援センター事業を中心に、生活困窮、障害、療育等の相談事業を行う職場で働いています。日々、何でだろうと思うことと出会います。

 

 親から追い出されて公民館で休日を過ごす子ども。
 居場所であるはずの場所から疎外される障害を持った人。
 専門性や立場を振りかざす人。
 今日の社会保障のあり方。。。

 

 一人一人の方と、一つ一つのことと、付き合っていきたいと思っています。

■執筆者:渋沢茂(NPO法人長生夷隅地域のくらしを支える会 理事長)


1964年千葉県生まれ。幼少時から父の仕事の関係で転校を繰り返す。高校、大学では麻雀とお酒を極める。
障害者の施設、地域支援の仕事をした後、中核地域生活支援センターの立ち上げに関わる。
現在は茂原市で、中核センターの他、生活困窮者自立相談、障害者計画相談、療育相談等を行うNPO法人理事長。2年前からは柄にもなく千葉県社会福祉士会の会長。
好きなことは、お酒を飲むこと、本を読むこと、体を動かすこと。大好きなことは寝る事。嫌いなことは嘘をつくこと、人混み。

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