コラム「プカプカって~21世紀、自由な空から落っこちて、欲望の海へと沈みゆく、その後で~」

 浮かれた気持ちになりたくて、昔の動画を検索して清志郎や若き頃のヒロトの唄に、つかの間、浮かれた勢いで、仕事に身を入れようとしたところ、こんなに熱い歌を口ずさんでいたけれど、なんもできずに30年過ぎたよなぁと余計に身が入らなくなって困っていた。

 もうこんだけ生きてきちゃった後だと、自分を肯定するのなんてチャラい。もういいだろう。もういいでしょ。そんな気持ちで、ますます自堕落になっていく。べつにいいんじゃないの、そこそこやりたいようにやってきたんでしょ?何をこれから望むというの。長生き、健康、女の子、うまいもん食って、得した気持ちになりたくてってか?う~ん。わからん。生きてる時間、吸って、吐いての繰り返し、暇つぶしにしかならなくなっていく。

 そんなことをぼうっとしてたら、唐突に、自分は自分だ、俺流だってのは、何とも年寄りじみた感じなんだなあと、ふと思う。誰かを気にして、意識して、なんかやりたいなあと思いつつ、死んだ後にも誰かが真似したくなるような老いたる命の在り方へとちょっとだけ思い直してみる。

 

 上手にやっていける立場の人間が、そうでない人間もまた同じ人間と思い直して、金や自由を分け合って生きていくなんてことは、この50年の生きている間にはやってこなかった。あと50年生きていたとして、僕らはそんな風に変わっていくなんてことがあるのだろうか。あるとしたらどんなことがきっかけとなるのだろうか。

 大きな戦争があっても、大きな災害があっても、助け合おうとする人たちをこそ利用して、うまく立ち振る舞いながら、おいしいところをもっていこうとするやつが、次々と湧いてくる。上手なもんだ。頭の回るやつにはかなわない。

 そんな中、僕自身もまた、僕よりも生きていくことが難しい人たちがいたおかげで、おいしくご飯を食べてきた。じじいになるまでは、とても生きてはいられないと不安に思っていたはずが、五体満足で、死なずに50歳だ。なんてこった。

 

 ひと・くらしサポートネットちばという集まりに関わらせてもらってきた。何が起きるのだろうかとワクワクしていたのは、まだ僕が若さの中にあったというだけのことなのか。幾人かの人たちとの出会いの場ではあった。ここで出会った人たちと過ごした時間も決して少なくはない。初めのころに活動の場となっていた一刻荘で出会った当時30歳になったばかりの不器用な男は、変わらぬままの不器用さで、この10年で刑務所を3回出入りし、40歳を迎えて、また僕のそばにいる。僕もまた、変わらぬままの小賢しさで、彼のそばにいる。

 こんなはずじゃない、こんなもんじゃないと大きな声で歌いたいところだけど、人のそばで大きな声を出すのはよしましょうという感染症対策のもと、僕らの声は小さくなるばかり、なのか。いや、そんなことはないよと、強がりを小さく呟くぐらいの自由はまだある。そんな小さな声でも、たくさんの人たちと歌えるのであれば、大合唱ともなるかもしれないという希望をもって、慣れ親しんだ絶望に抗うということを、この小さな集まりから、続けていきたいとは思う。

 小さな声で構わない、声を出して、歌い続けよう。沈みがちな気持ちに、浮き輪をつけて、プカプカってね。溺れそうなやつには、浮き輪を投げろ、プカプカってね。投げる浮き輪がないときは、僕の浮き輪に捕まれよ。そんで一緒に沈んちまったら、あいむそーりい(笑)

 いやいや、浮かばれない話にはしたくはないので、まだまだ生きてるうちは、のろしを上げて、仲間を待つ。そういう志しの集まり、通称・略称「ひとくら」。これからこそ、ますますよろしく。ねっ、みんな。

 

■執筆者:伊藤英樹(特定非営利活動法人井戸端介護 理事長)

 

1971年横浜市生まれ。共働きで社交的な両親の元、3人兄弟の末っ子として成長。多感な思春期を横浜で生き抜く。社会福祉士。障害者施設、介護施設等の勤務を経て、色惚けしてサービスを断られ続けた父親の介護の必要に迫られ、2002年千葉県木更津市にて「NPO法人井戸端介護」を立ち上げ。高齢者のデイサービスを経営基盤としつつ、制度内サービスを断られた認知症のお年寄りや障がい者、生活困窮者等の支援を行っている。ひと・くらしサポートネットちば共同代表のひとり。

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