コラム「誰かのために生まれる説」

いつのころからか、私は誰かのために生まれてきたという感覚を持っていた。

それは自分だけではなく、すべての人は等しく同じであるとも思っている。

 

私は、生まれた瞬間から両親を喜ばせ、生きがいを与える存在になった。学校に通うようになると集団で活動することが増え、自分の役割を自覚し、役に立とうと思うようになった。人と出会い関わりあいながら人を好きになっていった。大人になるに頃には、誰かのために存在しあっている人間社会は愛しくもあり、厄介にも感じるようになっていた。人生のいろいろな体験の中で紆余曲折あり、今の気持ちにすんなりと至ったわけではないが、自分が親になった時に、誰かのために生まれてくる説は私の確信に変わった。

 

支援者、援助職という仕事に就いたのは50歳を目前とした頃だった。その立場になっていくつかの職場を経験してきたが、支援対象のカテゴリーがない職場はこの最後の職場だった。

 

私がもしこの職業につかずにいたら体験できないほどの多くの相談を受けてきた。どの相談も本気の悩みであり、一人一人の生きづらさがあふれていた内容であった。私の誰かのために生まれた説は、脆くも無力な理想に落ちぶれてしまった。人間関係に傷ついた解決できそうもない相談ばかりなのである。だから心を傾けて聴くしかなかった。ときどき「話せて良かった。聴いてもらえて楽になった」と言われることがあった。一緒に考えて、共感を伝えると孤立していた心が少し温まり、言葉を交わしあう人間が必要で、ホッとされている様子がこちらにも伝わってきた。やっぱり誰かのために生まれてくる説は健在であると思わされた。

 

ここまでは援助職にいる方々の中ではあるあるの話であるが、私はもっと貴重な体験をした。ここでは細かい業務の話はできないが、私以外の相談員が業務についている様子を見て聴くことができる環境であったため、もっと多くの話を聴いている。相談員は真摯に一生懸命に相談者の気持ちに心を傾け、これまでの苦しみや痛みを癒すかのように寄り添っていた。その姿を近くで見ることができたのだ。それらは決して私に向けられた言葉や間合いではないのに、私の心の中に隠れていた私の痛みに届いていた。自分の為ではないと分かっていてもその言葉やすべてに癒され、慰められ、忘れようとしていた痛みが温かく流れていくのが分かった。

 

退職を考え、この8年間を振り返えるとき、自分が支援者だと思い、誰かの役に立てる仕事だと思っていた私自身が実は癒され、励まされていたことに気付くことができた。予想もしていなかった感覚を体験し、人生の終盤に訪れた素敵なギフトのようであった。今は大きな感謝の気持ちでいっぱいである。

 

相対する人間以外にも働く「誰かのために生まれる説」は、その人の存在が誰かを人間らしく生かす説でもあった。これらを携えて、私はまた自分のこれからの時間を誰かのために使っていけることを願っている。

 

お世話になった法人の皆様に心から感謝申し上げます!

 

■執筆者:小宮扶美江

 

20年相談員として働き、この3月で退職し、現在余生を思考中の人

自然を愛し、人も自分も大切にすることをモットーとしています!

一般社団法人
ひと・くらし
サポートネットちば

Tel:043-304-5789
Fax:043-304-5422
お問合わせはこちら